「人間の視覚や認識の仕組みを踏まえて、何か新しい映像作品をつくりたい。」
デザイン学部 伊藤英高 准教授
映像のエキスパートである伊藤先生は、作品制作において、あえて視覚的要素を排し、触覚や聴覚を際立たせることで新しい感覚を呼び覚ますという試みをしてきました。今回は、そうした試みを代表する作品をいくつか取り上げ、詳細を語っていただきました。
■これまでに発表された作品について教えてください。
もともと映像メディアが専門ではあるのですが、ここ数年は、視覚情報をできるだけ抑えて、“物に触れる”ことで跳ね返ってくる感覚みたいなものに重きを置いた、インタラクティブインスタレーションを制作してきました。例えば、2005年に発表した「遠雷」。これは古い机の上に木箱が置いてあって、その木箱を揺らすと、遠くで雷のゴロゴロという音が聞こえる作品です。普段、私たちが何かの情報を得るときって、モニターやヘッドフォンなど、目の前で見えるとか耳のそばで鳴っているという状況が多いですよね。そういう状況に慣れてしまい、“遠く”という意識が薄れているのではないかと思ったんです。そこで、箱を揺らすと“遠く”を感じられる音が流れ、それを耳にした人たちが、それぞれの頭の中にあるイメージを広げられるようなものをつくってみようと、取り組んだわけです。この作品では、4台の机の上に4つの木箱を用意し、それぞれの木箱を揺らすと、雷の音、水が流れる音、森の中の音など自然の音が鳴る仕掛けになっています。また、揺らす回数がある一定を超えると、これまでの自然の音が一転して、電子的に加工された鳥や獣の鳴き声に切り替わるという仕掛けもほどこしています。それによって、人工的な世界と自然の世界を行き来するという、もう一つのテーマを表現しました。
それから、チベットの寺院にある摩尼車(まにぐるま)から発想を得た「経箱」という作品もインタラクティブ作品のひとつとして挙げられます。摩尼車とは、マントラが刻まれた大きな筒のようなもので、寺院を訪れた人々がそれを回転させると、回転させた数だけお経を唱えたことになるというものです。たまたまテレビか何かでこれを観て、お経というありがたいものと、遊び感覚で回転させている様子がすごく印象に残り、作品に結び付きました。この作品には中古の抽選器を用いていて、それを回すと中に入れたセンサが感知し、コンピュータと連動して般若心経が流れるという仕組みになっています。抽選器の回転スピードに合わせて、お経の再生スピードは変化します。当初(2006年)制作した「経箱」には、センサとしてワイヤレスマウスを用いましたが、2008年にリニューアルしたものには、Wiiリモコンを加工して使いました。また、以前はスピーカーから般若心経が流れる形でしたが、2008年版ではFMラジオとイアホンを仕込んだ黒電話の受話器を取り付け、それを耳に当てるとお経が聞こえるようにしています。この作品の狙いは、古い道具に新しい機能を“憑依”させ、それを操作することで新しい感覚を呼び起こそうという試みでした。
■先生の作品には、よく古道具が用いられますが、どんな意図があるのですか?
私自身は新しいものが好きですし、パソコンなどの機材は、最新のものを使いたいと思っています。ただ、そういうものは、数年もすればまるでゴミ同然のように扱われることもあります。
今やその流れは加速して、パソコンなどは1、2年単位で“古いもの”となっています。手に入れたときは新品で期待感もあったのに、すぐにゴミとされてしまう、そういうところに胸が痛んで…。もちろん仕事をする上では、仕方のない部分ではありますが。ですから作品には、長く使われてきて、この先10年、20年経っても変わらないものを使いたいという思いがあります。長く使われてきた古いもののほうが、安心感があるのかもしれません。また、作品で用いる道具は、初めて手にした人でもその使い方がわかるもの、形態が機能を表しているものを選ぶようにしています。例えば、抽選器のことを知らなくても、取っ手が付いているので、誰でも回しますよね? 黒電話の受話器も、つい耳に当ててしまう。また、“物自体”に骨董的な価値がなく、誰もが特に意識しないという条件もあります。そういうものを好んで使いたいと思っています。
■先生が映像やインタラクティブアートに興味を持ったきっかけとは?
子どもの頃は、漫画家になるのが夢でした。中学生になると、父親が美術の教員だったこともあって、美術に興味を持ち始め、油絵の方に進もうと思うようになって。それで美術大学の油絵学科に入学したのですが、当時はコンピュータが非常に発展し始めた時期でもあって、そちらにも興味を持っていました。特にコンピュータグラフィックの進化には目を見張るものがあり、コンピュータで何かできないかと思うようになってきて。とりわけ私は映像に興味があり、大学時代は油絵学科なのに、学内の映像設備を使ってビデオ映像の編集に明け暮れていました(笑)。卒業後は、企業で映像制作に携わっていたのですが、90年代後半にコンピュータ技術がある程度確立されると、次第に興味が薄れてきて。誰もがパソコンを手にでき、ソフトを使ってすごい映像をつくることができるという状況の中で、果たして新しいものがつくれるのかと疑問を持ち始めたのです。それに世の中には、テレビや広告など映像があふれていて、私的には少々お腹いっぱいという感もぬぐえなかったんですね。ただ映像には、見ただけでぱっと頭の中にイメージが広がる感覚や快感といった魅力があります。ですから、その映像の魅力を、映像的なものを抑えつつ抽出できないかと思って、さっきお話ししたようなインタラクティブ作品をつくり始めました。つまり映像をより意識したいから、それをできるだけ抑えた作品に挑戦したのだと思います。
■授業では、どんなことを教えているのですか?
2年生対象の「構成論」を担当しています。今、その授業を進めるにあたって、私自身も映像に関することを勉強し直しているところです。例えば、人間の肉体的?生理的な視覚の仕組みや認識の方法などです。また、今はハードもソフトも進化し、誰もが簡単に映像がつくれる時代です。学生たちも最初からそういう映像をつくるためのツールを使うわけですが、それだとツールの機能に使われてしまう恐れがあります。ですからこの授業では、人間の感覚や見え方を再確認し、さらにカメラ、コンピュータ、ソフトウェアなど映像制作で使われるツールの機能を批判的に見直す作業をしようと考えています。また、映像作品を鑑賞し、それを人間の生理や認識の仕組みと関連づけていくこともしたいと思っています。この授業でよく取り上げる映像作品には、短時間の中に映像の構成や技術的なことが凝縮されたミュージックビデオが多いですね。デザイン学部の学生全員が、映像に興味を持っているわけではないので、興味のない人でも見やすいミュージックビデオを使うことで、映像に触れるきっかけになればと考えています。新旧、国内外問わず映像の魅力が伝わる作品を取り上げていきます。
■最後に、今後の展望をお聞かせください。
自分の作品としては、先の「構成論」で調べた人間の視覚や認識などを踏まえて、映像で何ができるかを考えているところです。具体的なことは言えませんが、これまでのインスタレーションの流れとは違い、あえて映像作品をつくろうと考えています。特に今回の震災を受けて、作品づくりに対する考え方は、変わらざるを得ないと感じています。ただ、まだ自分の中でもはっきりしたことは、まとまっていないというのが現状です。
教員としては、学生たちに、いろいろな物事に対応できる人になってほしいと思っています。今は先の見えない流動的な時代ですから、例えば、紙でもウェブでも映像でも、出力の媒体に囚われることなく対応できる力を身につけてほしいのです。そのためには、今まで以上に情報を読み取る力が必要になってくると思います。それには実は文字や文章が重要なのではないかと、私自身は感じています。無数にある断片的な映像や情報から、文脈を読み取っていく力というのでしょうか。そういう文脈を読み取るためには、ありきたりですが読書をするなどして、その力を養っていくしかないと思っています。
[2011年5月取材]
■デザイン学部
/gakubu/design/index.html
?次回は7月8日に配信予定です。
2011年6月10日掲出