REC.004 chapter.1「音楽評論家という存在」
season 2
REC.004 chapter.1
音楽評論家という存在
―現在、40代ぐらいまでの音楽ファンにとって音楽評論家という存在は憧れの的でした。音楽雑誌の文章に影響され、そこには評論家だからこそ知り得る、掘り起こされた情報が詰まっていました。1万字ほどのロングインタビューから、凝縮された200字のコメントまで原稿がありますが、平山先生はどういう経緯で音楽評論家になられたのですか?
平山雄一氏(以下平山と敬称略):僕は、洋楽を中心とした音楽雑誌の月刊『Player』(母体となる『Young Mates Music』は1968年の創刊)に恩人がいて、そこで取材方法や原稿の書き方、写真の選び方など一般的なエディトリアル(編集)を教えてもらいました。そんななかで、音楽評論家になったきっかけは諸先輩たちの原稿をたくさん読み、やはり自分もこういうものを書きたいと思ったからです。
―やはり音楽評論家にとって、エディトリアルは必要ですか?
平山:エディトリアルは評論家としての表現の根っ子の一部なので、それは勉強しないといけないんじゃないですかね。思いを伝えるための切り口の整理とか、例えばこういうテーマだとしたらこの角度からの方がいいという、編集者的な、客観的な視点は必要だと思いますね。
―これまでの35年ほどのキャリアで、ライブは4800本、インタビューしたアーティストは2000人と、徹底したフィールドワークのなかから音楽評論をなさっていますが、いつもどんな視点でお仕事をなさっているのですか?
平山:例えば、この東京工科大学メディア学部の学生たちのなかには、アニメに関わる仕事に就きたい方々も多いと聞きましたが、もしキャラクターを作りたいとしたら、いろんなパターンの人間に会うことですよね。なぜなら完全に架空のキャラクターってないと思うんですよ。必ず誰かに投影して、そこに脚色していくので、たくさん友達を作った方がいいですよね。
再構築するにはその友達すらも日常的に見て、彼自身が持っているもの、彼の親が持っているもの、彼が通っている学校のものなどを正確に見極めて、それをキャラクターとして再構築することだと思います。
音楽評論の文章もそうです。ひっくり返して見るとか、多面的なものの見方というのは意識的にやればできると思う。映画も一人で観に行かずに、見終わったら誰かとその映画の話をするとか。本でもいいし、芝居でもいいですね。そういったなかで、自分にしか伝えられないものを結果として見つけられた喜び、それを人に伝えたい、そういった気持ちを持ち続けることも音楽評論家には必要だと思います。
chapter.1 音楽評論家という存在
chapter.2 音楽評論家はキュレーター的役割が必要
REC.004 平山雄一さん
音楽評論家
- REC.004 chapter 1-3 -
- chapter.1 音楽評論家という存在
- chapter.2 音楽評論家はキュレーター的役割が必要
- chapter.3 アーティストとの距離感
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